運命のゴールデンレトリバー? vol.3
2002年の年明けと同時に私は犬を探し始めました。
その頃お空では・・・
宇宙の計らいを担当している神様は天使達と一緒になって、地上の魂の配置換えで毎日大忙しです。
ある日、モモになる金色の光りの魂が呼ばれ、
「肉体の準備が整ったら、君の出番だ!そろそろ準備をしよう!」と告げられました。
「君は、この中でどの家族を選ぶ?」と神様に優しく声をかけられ、モモになる光りの魂は迷わずに言いました。
「わたしは、日本の長野県に住むこの家族を選びます。」
「わたしはこれから地上に降りたら、この家族の心を癒して皆を幸せにします! そして、わたしも愛すること、愛されることを体験したいです!どんな家族かな? どんな一生になるのかわからないけど、わたし精一杯頑張ります!」
その当時30歳の私は、紆余曲折ありながら、セラピストになり、長野駅前にアロマセラピーとエステティックのサロンを開業していました。
少し私の自己紹介をすると、私は子供の頃から、感受性が豊かな方で、心のことに興味がありました。なかなかその個性を活かす場所がなかったので、今思えば自分の感性に蓋をして周囲に合わせていたように思います。
セラピストになるまでは、自分には何の取り柄もないと思い込んでいました。
大学時代にシャーリー・マクレーンの著書「アウト・オン・ア・リム」を読んだ時、初めて自分が感じていた目に見えないスピリチュアルな世界観を言語化している本に出会えたと感じました。それからの私は、国文学を専攻していたのですが、ついつい手に取る本は日本文学より精神哲学的な本に偏っていきました。
大学卒業後は家族にUターン就職以外認めて貰えなかったので、長野のゼネコン企業に就職し、OLになりました。会社の仲間達には恵まれていましたが、とにかく「この仕事は私のやりたい仕事ではない」というフラストレーションを抱えていました。
今想えば、何の取り柄もないと思っている癖に、「私のやるべき事は他にあるはず」というか「私には他にやることがあると知っている」という不思議な確信があったのです。
そんな感覚に導かれるように、家族の反対を押し切って再び東京に戻り、2年後にはアロマセラピストとして働いていました。
人が大好きで、接客業に向いていたこともあり、セラピストになってからは水を得た魚のように個性が溢れ出し、仕事への道がどんどん開けていきました。
その後、家の事情など色々とあり、長野に戻る決心をして、27歳でお店を開業しました。当時長野には個人サロンは珍しく、アロマセラピーはじめ自然療法の認知度も低く、全てがゼロからのスタートでした。
順風満帆とはいきませんでしたが、無我夢中で努力して、休みなく働きました。
犬を探し始めた頃は、なんとかお店を起動にのせたものの、スタッフとの関係性でリーダーシップが上手く取れずに毎日悩み踠いていました。はじめは夢を叶えたつもりでいましたが、実際は苦労が多く、気分が重い日々で、神経はいつも緊張ていました。外側ではやる気満々に振る舞っていましたが、「なんでこんな事始めちゃったんだろう・・・」と心の内側で呟いている弱気な私が、本当の自分でした。
そんな中、お客様に「犬を探しているんです」とお話ししたところ、トリミングサロンと犬の躾やプードルのブリーダーをしているお友達を紹介していただきました。その方は、後に私の友人となり、モモが16年間お世話になったドックサロン「ソレイユ」の綾ちゃんです。
私はドックサロン「ソレイユ」さんを訪れ、綾ちゃんに事情を説明して「雄の柴犬を探して欲しい」と頼みました。
その時、ソファーに座る私の横に黒色のスタンダードプードルが飛び乗ってきて、私は緊張で顔がひきつってしまいました。
そんな私の顔色を見て、綾ちゃんは「そんなにビクビクしているようじゃ、柴犬は無理だね~、止めなさい!」と言いました。
「いや、豆柴ならどうだろうか?」と食い下がってみましたが、「駄目だね!」と取り合ってくれません。
両親は犬は外で飼うものと思っていたので、室内犬は論外で、色々話しているうちにゴールデンレトリバーが良いんじゃないかということになりました。人好きで温厚な性格のゴールデンレトリバーはちゃんと躾ければ、柴犬よりも飼いやすいと薦められました。
私はゴールデンレトリバーの顔が大好きだったのと、当時モデルの川原亜矢子さんがよく愛犬のゴールデンレトリバーと雑誌に載っていたのを見て憧れていたのもあり、綾ちゃんにゴールデンの仔犬を探してくれるよう頼みました。
帰宅して父に話すと「西洋の犬なんて駄目だ、ゴールデンなら飼わない!」と検討の余地なく、休日に父とホームセンターやペットショップを巡って柴犬の仔犬を探しました。
現在は、保護犬という選択肢もありますが、その頃は仔犬を買う以外には思いつかない時代でした。
その事を考えると、この数年のペットブームで、ペットに対する人間の捉え方も2極化したなと思います。 ペットを物のように扱う人間と、逆境にいるペットを救い出したり、家族としての絆と信頼関係を築き、小さな命の尊さを大事にする人間…。
父はコロの面影を追って柴犬を探していましたが、なかなか見つかりませんでした。
ホームセンターやペットショップにいる生まれたての仔犬や売れ残って少し大きくなった犬たちの不安そうな目を見ると、私はその都度胸が痛みました。
そうこうしているうちに、綾ちゃんから「4月末にとても血統の良いゴールデンレトリバーの仔犬が生まれるそうだから、待ってて♡」と連絡が入りました。
当時の私は父との折り合いが悪く、大喧嘩をすることもしょっちゅうでした。二人とも性格が似ていて言い出したら聞かない頑固な性格です。
私の中では、直感で「このゴールデンレトリバー」と決まっていたので、喧嘩が勃発すること覚悟で、父には内緒でどんどん話しを進めてしまいました。
私はこうと決めた時は、父や家族に反対されても、強い意志で説得してきました。 だから、最終的に皆がゴールデンレトリバーを飼うことに賛成してくれるだろうという自信がありました。
私の頑固は「父親譲り」、いやちょっと待て・・・?
・・・父を上回ってることに今気付きました (笑)
私と父のトラウマ vol.2
私の生家は長野県須坂市にある田舎町にあります。
私は二人姉妹の長女で生まれ、系譜でわかっている範囲で13代目。
小さな頃から後継ぎと言われて育ちました。
私が生まれる前は、何頭か犬を飼っていた家ですが、私は犬とは縁がなく育ちました。
私はとても過保護に育てられたせいか、極度の怖がりで、動物に対しても先に恐怖心が湧いてしまって触れることができず、いつも遠目から眺めていました。
今想えば あの頃は、人間と動物、そして人間と植物の間に、しっかりと境界線をひいていたように思います。
そんな子供の頃に住んでいた家は、茅葺き屋根の古い家でした。
周りは林檎畑に囲まれ、自然と密接に繋がって暮らしていました。
私が小さい頃、我が家の裏庭の大きな欅の木に、ミミズクが何羽も飛んできて住んでいました。記憶は薄れていますが、離れの2階の窓から、ミミズクの巣をじっと見つめていた想い出があります。母の話しでは、大学教授の方々がミミズクの研究にいらしていたとのことです。
でもその頃はまだ、自然に敬意を払ったり、動植物を愛する気持ちはまだ目覚めていませんでした。
古い家は隙間がいっぱいで、ネズミも沢山同居していました。
居間で一人宿題をしていると、梁の上を巨大なネズミ(子供だったから巨大に見えたのか!?)がドタドタ走っていったり、お風呂に行く時に通る薄暗い部屋では、ネズミとばったり出くわして踏んづけそうになったり・・・その都度、恐怖で心臓が止まりそうでした。
「本当に?」と疑うようなホントの話しですが、祖父母が夜寝ていると、突然祖母の背中と寝巻きの間に子ネズミが入ってきたそうです。
きっとまだ右も左もわからない、ベイビー子ネズミちゃんだったのでしょう・・・。
祖父が、大騒ぎする祖母の背中を叩いて子ネズミちゃんを潰したそうです。
翌朝、祖母が朝ご飯を食べながら、半泣き状態で話してくれました。
みんなで「ヒエエ~~~~!!!!!」と、ぞっとしながらモクモクご飯を食べたことを覚えています。
私の祖母は今振り返ると動物に好かれていたのか、嫌われていたのか、面白い動物ネタが豊富です。
祖母は畑にかけてある鳥除けの網に足が絡まったカラスやキジ、壁にぶつかって気絶した鳶も、素手で捕まえて助けることができるようなワイルドな人でしたが、蛇が大の苦手でした。
夏、裏庭の欅や杉、楓の木の下は、とても涼しく快適だったので、祖母は「軽井沢」と名付けて木陰でおやつを食べるのがお気に入りでした。
ある日、我が家の「軽井沢」でお茶をしていた祖母の頭の上に、ドサッと蛇が落ちて大騒ぎ(>_<)!!
祖母は、家族の中で威張っていましたが、時々衝撃的な蛇との遭遇で、シュンとしていました。(笑)
そんな祖母が良く話してくれたのは、祖父が戦争から一緒に連れ帰ってきた軍用犬の「アビ」というシェパードの話しです。
アビは血気盛んで暴れん坊。よく脱走しては、近所の家で飼っている鶏を捕まえて家族を困らせたそうです。
ご近所には恐がられていたけど、アビはとても可愛いい子だったこと、亡くなる時に家族で看取った想い出などを情感込めて話してくれました。
でも、暴れん坊の可愛いアビの話しを聞いても、犬への恐怖心は募るばかり、犬を飼ってみたいとは思いませんでした。
私が住んでいた町は昔、野良犬や離れ犬が結構いました。
そんな訳で、私は子供の頃に野良犬に追いかけられたり、吠えられたりしてトラウマができていました。
通学路でもしょっちゅう犬に出くわし、友達と居る時は助けて貰いましたが、一人でいる時は一目散に逃げて近所のお宅に逃げ込んだり、「すみません!すみません!」とただひたすら犬に謝ったり、「どうか道を通して下さい」と懇願したり、あたふたしているうちに学校に遅刻してしまったり・・・と、とてもへなちょこでした。
大人になってからも遊びに行った友人のお宅に犬がいると、ストレスで顔が引きつり、冷や汗をかいていました。
そんな私が、突然犬を飼うことになったのは、2001年の12月に祖父が亡くなって、寂しくなった父が「雄の柴犬」を飼いたいと言い出したからです。
何故雄かというと、家の中に男が父一人になってしまったから。
そして何故柴犬かというと、父の5歳の頃のトラウマを癒すためでした。
昭和14年生まれの父が5歳の頃、祖父は太平洋戦争で徴兵され、祖母と父、まだ生まれたばかりの父の妹と三人で家を守らなければなりませんでした。それを心配した祖母の実家の父(私の曾祖父)が、飼っていた柴犬のコロを番犬として譲ってくれたそうです。
父はとても嬉しかったそうですが、コロは元の家に戻りたくて脱走してしまいました。祖母の実家は豊野というところです。
そこへ帰るには千曲川を渡らなければならず、コロは途中で臭いを追いかけることができずに彷徨って、3日後に泥だらけになって父の元へ帰ってきたそうです。
それからコロは父の良き相棒となり、家を守ってくれたそうです。
しかし、戦渦が厳しくなって、一般家庭で番犬や愛玩犬として飼われていた犬を供出しなければならなくなってしまいました。配給される食糧も人々に行き渡らない世の中で、犬猫を飼うなど贅沢であり、食肉も不足していたからだそうです。
そして、供出された全ての犬は処分されたそうです。
父は蔵の中にコロを隠してしばらくの間飼っていたそうですが、とうとう見つかってしまって供出しなければならなくなりました。
5歳の父は、コロも戦争に行って敵国と闘わなければならないと祖母に言われ、泣く泣く公会堂に連れていくことを承諾したそうです。
コロを公会堂に連れていく朝、おにぎりをコロに食べさせ、親戚の家にも寄って「これから戦争に行ってきます」と挨拶をしたそうです。
そして、コロをお役人さんに手渡し、後ろを振り向かずに一目散で家に帰り、こたつの中に頭を突っ込んで泣いたそうです。
・・・でも、どうしてもコロのことが心配で公会堂に戻った父が目にした物は・・・骨になって変わり果てたコロの姿だったそうです。
5歳の子供には、とても残酷な出来事でした。
そして父の心は深く傷つき、その傷は中年を過ぎてもまだ癒されることはなく残っていました。
いつも厳格な父が、泣きじゃくりながら話しをする姿に私は胸を打たれ、父のトラウマを癒すためにも、家族と相談して犬を飼うことに決めたのです。
こんな私が大型犬のモモと出会い、人生ががらりと変わっていきます。
恐れから愛へシフトし、動物も植物も人間もその命は平等に尊く、大切な天からの贈り物であると感じることができるようになりました。
大好きだよモモ Vol.1
地球上のあらゆる命の煌めきを大切にするあなたへ
天使になったモモに捧げる
私がゴールデンレトリバーの女の子 モモと出会ったのは2002年。
私がちょうど30歳の時です。
それから私たちは家族になり、2018年9月9日にモモがお空に帰ってしまうまで、モモはどんな時も忍耐強く私に寄り添ってくれました。
16歳5ヶ月、命いっぱい生きて、私に女性である幸せと無条件の愛を教えくれました。
そして、動植物のどんな小さな命も、私たち人間と同じく、地球にとってとても大切だということ。動植物たちが、私たち人間とのコミュニケーションを今とても必要としていることを教えてくれました。
モモが教えてくれたことは私の一生の宝物。
モモの笑顔、こまった顔、欲張りの顔、静かに怒った顔、寂しそうな顔、いじけている顔、はしゃいでいる顔、幸せそうな顔・・・どんな表情も、ありありと想い出せます。
可愛かったなぁ~。
一日も忘れることなんてない。
モモを想って、目を閉じると、とても美しいエネルギーに満ちたところで、喜びに溢れて笑っている姿が見えます。
そして輝く金色の粉を、私の周りにふりまいてくれている感じがするのです。
全ては完璧な流れで起きています。
辛い出来事、心痛、病気や死でさえ、実は完璧な場所で、完璧な時に、完璧な存在に起きています。
私はモモが亡くなった時に、本当にそう感じました。
「生きていることは素晴らしい。命のある限り、今生きていることを大切に、一瞬一瞬の宝物を心に刻み込んで生きてね。」って、
モモが肉体をフルに使って教えてくれたから、私は今も悲しみに暮れることなく明るく元気に生きています。
モモ、大好きだよ。本当に生まれてきてくれて、出会ってくれてありがとう。
モモは私の先生であり、母であり、妹であり、親友であり、同士であり、世界一の娘です。
モモの魂は今でも私に語りかけます。
「私の大切な大切なモモ。
私はモモが私に教えてくれたことを、
沢山の人にも分かち合いたいと思ってこれを書いているよ。
あなたが残してくれたエネルギーを地球に広げて、
一人でもいいから誰かの心に響いて、
その人の心が癒されることを願って書くよ。
モモ心から愛しています。
届いていますか?
私はいつでもモモと繋がっているよね。」
私はモモとの巡り合わせを引き起こしてくれた宇宙に感謝します。
そして、私に大切なメッセージをお伝えする役目を与えて下さったことに感謝します。