PLUMERIAの日記

天使になった愛犬モモが私に残してくれた愛のメッセージ。モモとの16年5ヶ月の軌跡を辿りながら、私は愛と感謝を受け取っています。そして読者の皆様へ命の煌めきや優しさが届くことを願い書いています。もし心が癒される人が一人でもいるのなら、私はとても嬉しく感じます。きっとモモも、お空から喜んでくれると思います。

私と父のトラウマ vol.2

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私の生家は長野県須坂市にある田舎町にあります。

私は二人姉妹の長女で生まれ、系譜でわかっている範囲で13代目。

小さな頃から後継ぎと言われて育ちました。

私が生まれる前は、何頭か犬を飼っていた家ですが、私は犬とは縁がなく育ちました。


私はとても過保護に育てられたせいか、極度の怖がりで、動物に対しても先に恐怖心が湧いてしまって触れることができず、いつも遠目から眺めていました。

今想えば あの頃は、人間と動物、そして人間と植物の間に、しっかりと境界線をひいていたように思います。 

 

そんな子供の頃に住んでいた家は、茅葺き屋根の古い家でした。

周りは林檎畑に囲まれ、自然と密接に繋がって暮らしていました。

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私が小さい頃、我が家の裏庭の大きな欅の木に、ミミズクが何羽も飛んできて住んでいました。記憶は薄れていますが、離れの2階の窓から、ミミズクの巣をじっと見つめていた想い出があります。母の話しでは、大学教授の方々がミミズクの研究にいらしていたとのことです。

でもその頃はまだ、自然に敬意を払ったり、動植物を愛する気持ちはまだ目覚めていませんでした。

 

古い家は隙間がいっぱいで、ネズミも沢山同居していました。

居間で一人宿題をしていると、梁の上を巨大なネズミ(子供だったから巨大に見えたのか!?)がドタドタ走っていったり、お風呂に行く時に通る薄暗い部屋では、ネズミとばったり出くわして踏んづけそうになったり・・・その都度、恐怖で心臓が止まりそうでした。


「本当に?」と疑うようなホントの話しですが、祖父母が夜寝ていると、突然祖母の背中と寝巻きの間に子ネズミが入ってきたそうです。

きっとまだ右も左もわからない、ベイビー子ネズミちゃんだったのでしょう・・・。

祖父が、大騒ぎする祖母の背中を叩いて子ネズミちゃんを潰したそうです。

翌朝、祖母が朝ご飯を食べながら、半泣き状態で話してくれました。

みんなで「ヒエエ~~~~!!!!!」と、ぞっとしながらモクモクご飯を食べたことを覚えています。

 

私の祖母は今振り返ると動物に好かれていたのか、嫌われていたのか、面白い動物ネタが豊富です。

祖母は畑にかけてある鳥除けの網に足が絡まったカラスやキジ、壁にぶつかって気絶した鳶も、素手で捕まえて助けることができるようなワイルドな人でしたが、蛇が大の苦手でした。
夏、裏庭の欅や杉、楓の木の下は、とても涼しく快適だったので、祖母は「軽井沢」と名付けて木陰でおやつを食べるのがお気に入りでした。

ある日、我が家の「軽井沢」でお茶をしていた祖母の頭の上に、ドサッと蛇が落ちて大騒ぎ(>_<)!!

祖母は、家族の中で威張っていましたが、時々衝撃的な蛇との遭遇で、シュンとしていました。(笑)

 

そんな祖母が良く話してくれたのは、祖父が戦争から一緒に連れ帰ってきた軍用犬の「アビ」というシェパードの話しです。

アビは血気盛んで暴れん坊。よく脱走しては、近所の家で飼っている鶏を捕まえて家族を困らせたそうです。

ご近所には恐がられていたけど、アビはとても可愛いい子だったこと、亡くなる時に家族で看取った想い出などを情感込めて話してくれました。

でも、暴れん坊の可愛いアビの話しを聞いても、犬への恐怖心は募るばかり、犬を飼ってみたいとは思いませんでした。

 

私が住んでいた町は昔、野良犬や離れ犬が結構いました。

そんな訳で、私は子供の頃に野良犬に追いかけられたり、吠えられたりしてトラウマができていました。

通学路でもしょっちゅう犬に出くわし、友達と居る時は助けて貰いましたが、一人でいる時は一目散に逃げて近所のお宅に逃げ込んだり、「すみません!すみません!」とただひたすら犬に謝ったり、「どうか道を通して下さい」と懇願したり、あたふたしているうちに学校に遅刻してしまったり・・・と、とてもへなちょこでした。
大人になってからも遊びに行った友人のお宅に犬がいると、ストレスで顔が引きつり、冷や汗をかいていました。

 

そんな私が、突然犬を飼うことになったのは、2001年の12月に祖父が亡くなって、寂しくなった父が「雄の柴犬」を飼いたいと言い出したからです。
何故雄かというと、家の中に男が父一人になってしまったから。

そして何故柴犬かというと、父の5歳の頃のトラウマを癒すためでした。

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昭和14年生まれの父が5歳の頃、祖父は太平洋戦争で徴兵され、祖母と父、まだ生まれたばかりの父の妹と三人で家を守らなければなりませんでした。それを心配した祖母の実家の父(私の曾祖父)が、飼っていた柴犬のコロを番犬として譲ってくれたそうです。

父はとても嬉しかったそうですが、コロは元の家に戻りたくて脱走してしまいました。祖母の実家は豊野というところです。

そこへ帰るには千曲川を渡らなければならず、コロは途中で臭いを追いかけることができずに彷徨って、3日後に泥だらけになって父の元へ帰ってきたそうです。
それからコロは父の良き相棒となり、家を守ってくれたそうです。


しかし、戦渦が厳しくなって、一般家庭で番犬や愛玩犬として飼われていた犬を供出しなければならなくなってしまいました。配給される食糧も人々に行き渡らない世の中で、犬猫を飼うなど贅沢であり、食肉も不足していたからだそうです。

そして、供出された全ての犬は処分されたそうです。

父は蔵の中にコロを隠してしばらくの間飼っていたそうですが、とうとう見つかってしまって供出しなければならなくなりました。

5歳の父は、コロも戦争に行って敵国と闘わなければならないと祖母に言われ、泣く泣く公会堂に連れていくことを承諾したそうです。

コロを公会堂に連れていく朝、おにぎりをコロに食べさせ、親戚の家にも寄って「これから戦争に行ってきます」と挨拶をしたそうです。
そして、コロをお役人さんに手渡し、後ろを振り向かずに一目散で家に帰り、こたつの中に頭を突っ込んで泣いたそうです。

・・・でも、どうしてもコロのことが心配で公会堂に戻った父が目にした物は・・・骨になって変わり果てたコロの姿だったそうです。


5歳の子供には、とても残酷な出来事でした。

そして父の心は深く傷つき、その傷は中年を過ぎてもまだ癒されることはなく残っていました。
いつも厳格な父が、泣きじゃくりながら話しをする姿に私は胸を打たれ、父のトラウマを癒すためにも、家族と相談して犬を飼うことに決めたのです。

 

こんな私が大型犬のモモと出会い、人生ががらりと変わっていきます。


恐れから愛へシフトし、動物も植物も人間もその命は平等に尊く、大切な天からの贈り物であると感じることができるようになりました。